第8回 フルム~代表・山上和良~

2025/12/19

 

(画像:生後1か月ごろのフルム)

京都サラブレッドクラブが出来て、一世代目の募集馬にフルムがいました。
一世代目からオープン馬が登場してくれたのは、まだまだ信頼のないクラブに大きな貢献をしてくれたと、フルムには感謝しています。

フルムの母サンタテレサは、サラブレッドオークションに出品されていたので購入しました。
サンタテレサは池江厩舎に所属しており、当時所属であった水口騎手も良い馬だと推薦してくれました。

いったん北海道競馬へ転籍し2勝して、JRAに復帰しました。
サンタテレサ自体を直接見たのは、JRAに戻ってからが初めてだったかと思いますが、それは素晴らしい馬体だという印象を持ったのを覚えています。

JRAに復帰後2戦しましたが、成績がパッとしなかったので、すぐに高橋ファームへ繁殖に上げました。
サンタテレサ自身の身体的能力の問題ではなく、気持ちの部分が競馬に向いていないと感じたからです。

その時点でサンタテレサは4歳、シニスターミニスターを種付けしました。
シニスターミニスターが徐々に結果を出し、注目され始めた頃だったかと記憶しています。

翌年、初仔である牡馬を出産しました。初仔で大きくなかったということもあって、それほど目立つ馬ではありませんでした。

母となったサンタテレサは、やはり性格に難があったのでしょう、産まれた我が子に虐待を始めました。
仔馬は身体中傷だらけになり、牧場から乳母をつけたいと相談がありました。

結局、仔馬は乳母に育てられ、すくすくと成長しました。
1歳を迎え、徐々に良い馬だと評価されるようにはなったものの、まだ誰も彼が将来オープン馬になるとは想像していませんでした。


(画像:1歳(3月)のフルム)

育成牧場へ移動し、年が明ける前の時期に育成牧場の社長から、1つ2つは勝てるのではないかと言われました。
正直、私自身もそんなものだろうと見ていました。

フルムと名付けられた2歳馬は、浜田厩舎へ入厩しました。

調教で彼に跨った水口騎手は、最初から彼の能力を高く評価してくれました。
水口騎手はフルムをオープン馬に育てると言って、普段の調教からレースまで、すべての場面で、たくさんのことをフルムに教え込みました。

そしてついに、その言葉通りフルムは立派なオープン馬に成長しました。
私はフルムに一番上手く乗れるのは、水口騎手であると今でも信じています。
馬との信頼関係が抜群ですから。


(画像:2023年12月17日コールドムーンS(OP)ゴール板前 フルムと水口騎手)

水口騎手が現役を引退し、同時にフルムもJRAでは大きな壁にぶち当たってしまいました。

私が考えるフルムの特徴は、左回りだと器用な競馬ができる。
逆に右回りは苦手。
東京競馬場を得意とするものの、実はそれほど長く良い脚を使えるわけではない。

個人的には、砂の深い地方の馬場、とくに左回りで小さめの競馬場が一番力を発揮できるのではないかと考えており、浦和や川崎で走らせてみたいと考えていました。

この移籍を期に去勢を行います。
去勢は決して可哀想なことではありません。
種牡馬になれなかった牡馬は、生き残る上では引退後ほとんどの場合、去勢されますから、少し時期が早まるだけなのです。

しかもテストステロンの悪影響が大きくなる年齢ですので、競走寿命が伸びる可能性が高く、故障の確率は減ります。
地方競馬では、トレセンのような恵まれた調教施設がありませんので、せん馬は有利と考えます。
最近は夏場が暑いですから、その点でも有利に働くはずです。

フルムには、まだまだ現役で頑張ってもらいたい。
今回、地方移籍を快く了承してくださった出資会員様には深く感謝を申し上げます。

会員の皆様、浜田調教師、ずっと担当いただいた調教助手さん、高橋ファームの皆様、そしてクラブスタッフや水口元騎手も、多くの方々に応援されて、フルムはまだまだ頑張れる。
先頭でゴールを駆け抜ける姿を再び見せてくれると信じています。